大判例

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東京高等裁判所 昭和52年(ネ)1816号 判決 1979年3月12日

控訴人 株式会社読売新聞社

右代表者代表取締役 務臺光雄

右訴訟代理人弁護士 田辺恒貞

同 栗田哲男

同 村上政博

被控訴人 株式会社 大秀

右代表者代表取締役 新居正一

右訴訟代理人弁護士 弘中徹

同 福島啓充

主文

原判決を次のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し金一五〇万円及びこれに対する昭和五〇年九月六日以降完済に至るまで年五分の金員を支払え。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを五分しその三を被控訴人の、その余を控訴人の負担とする。

この判決は、金員の支払を命ずる部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一  控訴代理人は、「原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を求めた。

被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

第二  当事者双方の主張並びに証拠の提出、援用及び認否は、次のとおり付加するほかは原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する。(ただし、原判決五丁表七行目の「金二、〇四八万六、九四〇円」を「金二、〇二三万四、五四七円」と訂正する。)

(控訴代理人の付加した主張)

一  本件記事において、被控訴人の製造販売する靴の中敷について「香料やノリなどを使っただけ」のものと記述した部分は、その製造原料・製造工程等に照らし客観的真実にほぼ一致し、右の表現は、揶揄的と評価されるべきものではない。

すなわち、本件の靴の中敷を浸漬する原液は、防虫剤・防臭剤に利用されるオルトヂクロールベンツオール剤を基剤に、同じく防虫剤・防臭剤に利用されるパラヂクロールベンツオール、殺菌剤・発育阻止剤であるソルピン酸、及び成型加工剤であるビニールアセテートを加えて製造されるものである。そうすると、原液は、芳香族であるベンツオールという特異な芳香のある揮発性の石油化学系薬品を使っているものであるため、広い意味で香料を原料としているといい得る。さらに、右原液を溶解混合し、溶液の粘性を増加させる接着剤であるアラビアゴム末を加えて攪拌したものに、乳剤用の水に成形促進剤のヘキサメチレンテトラミンを溶かし、ベンザルコニウムクロライドを加えたものを混入し、研和練合して揮発油乳剤を造っているが、アラビアゴム末といかノリを使用しているだけでなく、全体としてもノリ状形態のものを製造していることになる。なお中敷の皮膜に使用しているカルボキシルメチルセルローズは、木材・皮革の接着剤として利用される、いわゆるノリそのものである。

また、右原液、乳剤を使用して製造した本件商品「ナオール」は、水虫(汗疱性白癬)に対し一定の乾燥・消毒の効果を有するかもしれないが、水虫治療上の医学的臨床データもなく、原液の主成分と水虫治療上の薬効との関連が不明確であるから、「極めて強力な殺菌力を有し、水虫が治る」といえるほどのものでない。

二  本件記事を執筆した控訴人の記者浜野満洋には、「本件商品が水虫等の治療に対して全く効能を欠いた商品であるとの印象を抱かせるものであること」を真実であると信ずるについて相当な理由があるから、右執筆につき過失がなく、控訴人においても、本件記事を読売新聞に掲載したことに過失はない。

すなわち、捜査機関が薬事法違反事件について捜査を行う場合には、単に形式犯としての捜査のみならず、薬害、副作用等人命に関する重大な結果の発生を予防したり、無益な商品による詐欺的行為の被害の拡大を防止するため、当然にその商品の医薬品としての効能についても検討が及ぶものであるところ、本件記事が執行された昭和五〇年七月一六日当時、神奈川県警察本部旭警察署においては被控訴人らに対する薬事法違反事件について、その犯罪としての成立は勿論、本件商品自体医薬品としての効能を全く有しないものとの認識を抱いていた。浜野記者は、旭警察署の署長、防犯課長、一般捜査員から二週間にわたって取材し、右の者らが本件商品につき「香料とカラーノリのほかに全部で七つくらいの何かわからないけれども液みたいなものが混入されているもの」という程度に認識し、その薬効についても否定的に判断していることを知ったうえ、自らが読んだ捜査記録中の供述調書の一部内容と、被控訴人代表者が旭警察署において右と同趣旨の供述をしている旨の担当捜査員の話を合わせ、これらを根拠として本件記事を執筆した。

右の薬事法違反事件の捜査は、右事件が検察官に送致されるに至るまで二か月余継続され、本件商品につき製造特許を有する訴外加藤雄二に捜査が及ぶに至り、ようやく原液の内容、本件商品の製造方法等が判明したものであるが、浜野記者が前述の時点において警察からの取材結果のみに依拠し、本件商品の製法や効能について格別の裏付け調査をしないで本件記事を執筆したのは、右事件が薬禍問題という重大な結果を発生させる危険があり、できる限り迅速にその商品の効能を報道することが新聞社の社会的使命であり、新聞報道における迅速性と正確性という二大要請のうち、特に迅速性の要請が重視される場合にあたるものであったためである。また浜野記者の執筆当時、控訴人において自主的に調査したとしても、その調査能力から取材当時捜査当局から得た情報以上に、真相を探知しえたとも考えられず、犯罪報道において、新聞記者が強力な権限をもって捜査している捜査機関を取材対象に限定し、これから取材した事実を、ただちに真実であると信じて執筆したとしても何ら過失がなかったと考えるのが相当である。

三  本件記事による被控訴人の営業上の損害を具体的に認めるに足る証拠がない以上、営業上の損害を慰藉料の算定において斟酌することはできない。

四  被控訴人の得意先が被控訴人との間で本件商品の取引を停止したのは、本件薬事法違反事件において、被控訴人のみならず、その販売代理店や販売特約店も捜査を受け書類送検される見込があったから(本件記事の本質部分は右の点であり、その限りでは真実である)、右事実を知った各得意先が自己も摘発されるのを防止するため、被控訴人との取引を停止したためであり、本件記事中の本件商品に関する記述部分によるものではない。そして被控訴人が薬事法違反容疑で書類送検された事実は、昭和五〇年九月一三日にNHKや他の新聞によっても一斉に報道されているのであって、被控訴人の社会的信用ないし営業上の信用の低下は本件記事及び他の新聞等の同種記事に基因するものというべきであるから、仮に本件記事に多少の行きすぎがあったとしてな、被控訴人の精神的損害との間の因果関係においては、その占める程度は極めて僅かなものである。

(被控訴代理人の付加した主張)

一 本件商品の原料の一つであるオルトヂクロールベンツオールは防虫剤・防臭剤に使用するものではなく本件原液の基剤ではない。ベンツオールは悪臭を放つものであり化学上芳香族であるからといって香料であるといえるものではない。またカルボキシルメチルセルローズ、アラビアゴム末、ビニールアセテートポリマは、表面皮膜をはり蒸発速度を緩和せしめるために使用されているもので、物を接着させるために使用するノリとは相違するものである。

二 本件商品は、特許である「水虫を治療する靴の敷革の製造方法」により製造されていたものであり、その袋にも特許番号が印刷されていたから、特許製品であることは明瞭であり、浜野記者はその点について認識していたはずである。従って同記者としては本件商品の原料、製法、効能についてなお取材すべきであったのであり、その取材は困難でなく、これによって報道の迅速性が損なわれるものではない。

(控訴代理人が当審において追加して援用した証拠)《省略》

理由

一  当裁判所も、控訴人の被用者である浜野記者に本件記事を取材し原稿を執筆するにつき過失があり、同じく編集者に右記事を編集し、これを新聞に掲載するにつき過失があり、控訴人は、右の記者及び編集者の使用者として、被控訴人が本件記事により蒙った損害につき賠償すべき責任があると判断する。その理由は、次のとおり補正するほかは原判決理由一項ないし四項のとおりであるから、これをここに引用する。

1  原判決一一丁表七行目の「原告代表者尋問の結果」の次に「並びに弁論の全趣旨」と挿入する。

2  同丁裏三行目の「リルピン酸」を「ソルピン酸」と訂正し、同一〇行目の「方法によること、」の次に「右の原料のうち、オルトヂクロールベンツオールとパラヂクロールベンツナールは殺菌・殺虫力のある臭いを放つ芳香族系の化学薬品であり、ソルピン酸は防腐効果、発育阻止効果のある化学薬品であり、ヘキサメチレンテトラミンは殺菌力を、ベンザルコニウムクロライドは殺菌・殺虫力を、フォルマリンは止汗作用をもつとともに殺菌・殺虫力をそれぞれ有する化学薬品であること、また右の原料のうちアラビアゴム末はベンツオール系の揮発性薬品を乳剤化し、その揮発性を緩和して前記殺菌力等を持続させるための材料であり、ビニールアセテートは敷革の素材に浸透してこれに微細な気孔を開けさせることを目的とした材料であること」と挿入し、同一一行目の「殺菌作用を有し」を「薬事法二条にいう医薬品とはいえないけれども、それに浸透している化学剤に照らし殺菌作用ないし減菌作用を有するものであることが推測され、」と改める。

3  同一二丁表一行目と二行目の間に次のとおり挿入する。

「控訴人は、オルトヂクロールベンツオール及びパラヂクロールベンツオールが揮発性の芳香族系化学薬品であり、右のような特異の臭を放つ原料を使っているから広い意味で香料を原料としているといい得ると主張しているが、右両薬品は、その臭いが悪臭であって、通常香料として使われる性質のものでなく、その有用性は殺菌・殺虫性にあり、右の性質を捨象して、あえてこれを香料であるというのは当を得ない。また控訴人はアラビアゴム末、カルボキシルメチルセルローズがノリであり、乳剤化した原液がノリ状のものであるから、原料がノリであるというのも誤った表現ではないと主張しているが、本件商品の製造過程においては、アラビアゴム末は揮発油乳剤化の媒介物質として利用されているものであっていわゆるノリとして使用されているものでなく、また原液が全体としてコロイド状もしくはノリ状の物理的形態をしているからといって、その化学的性質を捨象してこれをノリであるというのも事実の客観的真実を伝える表現といい難く、まして本件商品の効能との関連において「香料やノリなどを使っただけ」という表現は相当性を欠くものであるといわなければならない。」

4  同丁表九行目の「医薬品の」から一〇行目までを「本件商品が医薬品に該当することを前提にしてその無許可製造をしたという嫌疑であって、本件商品が水虫の治療に真実効能を有するか」と改め、同丁裏二行目の「医薬品としての効能を有しない」を「水虫療法上効能を全く有しない」と改める。

5  同一四丁裏三行目末に次のとおり挿入する。

「なお当審における証人平野英次は、浜野記者が前記のように供述調書の一部を盗み見る機会のあったことを否定する証言をするが、証人浜野満洋の証言に照らし同証言はにわかに採用できない。」

6  同一五丁裏二行目末に次のとおり挿入する。

「そして、万が一誤った報道によって人の名誉、信用を結果的に毀損したときには、新聞記者及び編集者等において報道した事実を真実と信ずるについて相当の理由があり過失がなかったものとされる場合でも、続報又は訂正記事等により先の報道が真実でなかったことを公表し、被報道者の失われた名誉、信用をできるかぎり回復すべき義務があるというべきである。」

7  同丁裏四行目の「品の」の次に「製造方法及び」を挿入する。

8  同一六丁表五行目の「供述者の」から同六行目の「一部の記載を」までを「供述調書のごく一部の記載を無断で垣間見ただけでこれを」と改める。

9  同丁表一〇行目の「したもので、」の次に次のとおり挿入する。

「右は取材方法として不十分であり、他に旭警察署の防犯課刑事等から聞き込みをしたとしても、未だ捜査当局において本件商品の原料、製造方法等について確たる調査、鑑識等を終えず、報道関係者等に対して公の発表をしていない段階で、裏付取材をすることなく本件記事中の右部分を真実と信じたことについて相当の理由があったものとはいえず、」

10  同丁裏五行目末に次のとおり付加する。

「なお、控訴人は、本件薬事法違反事件が薬禍問題という重大な結果を発生させる危険があり新聞社としては正確さより迅速な報道が要請される場合であったから、前に述べた程度の取材でも本件記事を執筆掲載すべきであると主張するが、本件記事は、被控訴人らが効能の期待できない本件商品(靴の中敷き)について医薬品のような表示をして許可なく製造販売し、摘発されたことを内容とするものであって、控訴人の右の主張のような意図のもとに報道を急いだものとは認め難いから、右主張もそのまま容認するわけにはいかない。」

二  そこで、被控訴人の蒙った損害について判断するが、被控訴人は、原審が逸失利益の損害賠償請求及び謝罪広告請求を棄却した部分に対し、不服の申立をしないから、当裁判所はこの部分について判断せず、無形損害による慰藉料についてのみ判断する。

《証拠省略》によれば、被控訴人は昭和五〇年二月頃から本件商品の製造販売を始め、本件記事が掲載された昭和五〇年七月頃は相当数の売上げがあり、それまでの約五か月間に少くとも金九〇〇万円に近い利益をあげていたこと、ところが本件記事の掲載(《証拠省略》によれば四段ぬきで前示のような見出しがつけられた。)によって、被控訴人は社会的信用ないし営業上の信用を著しく失墜し、右記事を知って得意先から本件商品はまやかし商品であるとして相次いで取引を停止され、それまでの得意先のほとんど全部を失うに至り休業状態に追いこまれたこと、しかしながら被控訴人は、その後、本件商品を容れる袋の表示を改め、衛生雑貨品として販売することに努力し、薬事法違反事件につき不起訴となったこともあって、昭和五一年八月頃から徐々に信用を回復し、新日本製鉄株式会社、防衛庁警察関係などにおいて本件商品の販売を行えるまでに至っていることが認められる。

一方、《証拠省略》によると、被控訴人は、本件商品の製造販売に関し薬事法違反で検挙されるまで、本件商品を「水虫専用中敷」と表示し、「ナオール使用後は、水虫の軽い人は一ヶ月、重い人でも二ヶ月で消滅します云々」との効能書を付して、一般消費者に対し本件商品が水虫治療に卓効のある医薬品であるとの印象を与える方法で販売していたことが認められ、右方法が被控訴人のそれまでの売上げに寄与するところも少なくなかったものと推認され、また、それが被控訴人が薬事法違反で検挙される主たる原因になったものと推認される。そして右の検挙を発端とする本件記事が被控訴人の営業上の信用の低下等に寄与したことは否定できないところであるが、《証拠省略》によれば、本件商品の卸売先の中には自己にも嫌疑が及ぶことを恐れて被控訴人との取引を停止した者があることがうかがわれ、また《証拠省略》によると、昭和五〇年九月一三日付の神奈川新聞、毎日新聞、朝日新聞、サンケイ新聞などによって、被控訴人が本件商品に関し薬事法違反で検挙され同月一二日に書類送検された事実が報道されたことが認められ、これらの報道も被控訴人の営業上の信用等の低下に寄与しているものと推認しうる。しかしながら右の事情があるからといって本件記事による前記誤報と被控訴人の営業上の信用の低下等無形の損害との間に因果関係がないものとすることはできず、また控訴人の責任を不問に付すのを相当とするほど著しく右不法行為責任を軽減するものではない。

以上の事情、控訴人が本件記事掲載後続報等によってその誤報を事実上訂正し被控訴人の営業上の信用等を回復させる措置をとっていないこと、その他諸般の事情を総合勘案すると、被控訴人が本件不法行為によって蒙った営業上の信用の毀損等、無形の損害に対する慰藉料は、金一五〇万円が相当と認められる。

三  以上の次第で、被控訴人の本訴請求は、控訴人に対し慰藉料金一五〇万円とこれに対する本件不法行為の後である昭和五〇年九月六日以降完済に至るまで民事法定利率年五分の遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこの限度で認容し、その余はこれを棄却すべきである。

よって、右と結論を異にする原判決を右の範囲で変更することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九八条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 外山四郎 裁判官 近藤浩武 鬼頭季郎)

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